小松左京「継ぐのは誰か」

by HIT [1999.12.5]
 小松SFの初期の傑作として名高い作品です。

 舞台は、近未来。地上から戦争が無くなってしばらく経ったという設定です。整備されたアメリカの学園都市が舞台です。

 巨大な学園都市内で、世界各国から集まった学生グループに、「仲間を殺す」という風変りな殺人予告が出されます。1回目は、みんなの眠った後の潜在意識に直接、2回目は、各自のTVモニターに回線を使わずに、というふうに。モスクワ、パリ、京都で起こった同様の事件との関係は?学生たちと警察関係者が厳重にガードする中、殺人は思いもかけない方法で遂行されてしまうが....。

 と、前半が推理仕立てになっているので、あまりストーリを明かせないのが残念ですが、初期の小松作品らしく、「言いたいこと」が随所にちりばめられています。

 まず、最大のテーマは、「人類はそろそろ限界ではないか。人類を越えるもの、人類を継いでさらにその先に行く者はいないのか」です。このテーマは、小松が好んで使うもので、以前紹介した「神への長い道」の他にも「袋小路」など、傑作も多数あります。現代社会に充満する「無気力感」など、「人類の限界」を若い世代が感じはじめているのではないかと思うのは、私だけでしょうか。

 このテーマは、まともに語ると非常に重苦しくなるのですが、小松左京の軽快な語口とグイグイ引き込まれるストーリー展開によって、こうした重いテーマを、さらっと、読者に語りかけてしまいます。

 次に、作品中に、登場人物の言葉として語られるいくつかの世界観があります。

 一つは、賢者と呼ばれる老人の口から語られる「人・犬同等論」です。「犬は弱いから可哀想な存在で、人間は強いから尊敬される存在なのですか。犬は犬であることによって、その存在そのものが、尊敬されるべきであり、人間と全く同等の存在なのです。犬を可哀想という貴方こそ、犬の存在を卑しめているのです。」という賢者の発言は、西欧文明にどっぷり浸かってしまった現代人には、新鮮に映ると思います。この作品を最初に読んだ時(中学生でした)、思わず、「これだ。」と手を叩いたものです。

 次は、学生の指導教授が、警察関係者に「人類の危機なので協力してくれ」といわれた際に、苦笑しながら言う「科学・人類無関係論」です。

「科学は、人類が滅びるのを助けるために一肌脱いだりしませんよ。人類が滅んでしまっても、一向にかまわない。もちろん、『人類の滅びの論理』には若干の興味はあるでしょうがね。私は、人類が滅びる時でも、そうした覚めた目で、最後まで見届けたいと心掛けています。」

 科学のこうした一面は、一般には、馴染みの薄いものですし、特に日本人は、「科学」と「科学技術」の違いを理解していないので、全く理解不能で、「科学者のごう慢だ」と思う人も多いでしょう。

 しかし、科学の真の姿は、この通りで、それだからこそ、「人類を越えた普遍的な視点」を持つことができる『科学』を人類が生み出せたという事実が、人類全体の大きな資産なのです。

 この作品を読んで、それまでの「工学系」志望が「理学系」志望になったほど、私の人生を変えた世界観でした。(科学者になる夢は挫折してしまいましたが...)

 しかし、実際問題として、人類が滅びようとしている時に、こんな事を言っていたら、科学者なんて皆殺しにされてしまうでしょうね。(作品中で教授は「それでも一向にかまわない」といっていましたが。)

と、小難しい事を書きましたが、作品自体は、全然難しくありません。さらっと読める作品ですから、ぜひ一度読んでみて下さい。きっと他の小松作品が読みたくなるはずです。

小松左京「継ぐのは誰か」(早川JA文庫,角川文庫他)

小松左京研究会:会員番号III-2のHITでした。

初出:1996.9.5 MYネット 「読書の広場」


[ ご意見・投稿 | お気楽掲示板 | 冬のSF | 何でも雑技団 | よみの国研究所 ]