地方分権の意義

by HIT [1999.10.5]
 地方分権というのは、要は「中央政府と地方政府の役割分担の見直し」です。地方政府(地方自治体)の権限については、憲法92条に規定がありますが、この解釈には、以前から2通りの解釈があります。

(A)地方自治権は、基本的人権と同様に、生得的にあるもの。92条は、その規定を法律に委ねたものに過ぎない。
(B)地方自治権は、中央政府に属する権限の一部を法律により地方政府に譲ったものである。

 もちろん、地方自治体には、(A)の解釈が都合が良く、中央政府には、(B)の解釈が都合がいいのは当然です。「地方分権」という用語自身、(B)の解釈に基づくものですね。

 さて、地方分権ですが、「もろ刃の剣」であることは確かです。

 地方分権が進むと、地方が自ら身の回りの事を決定し、実行できるようになりますが、これには当然ながら「自己責任」を伴います。

 例えば、日本では、乱脈経営により、行政が破たんしないように、それこそはしの上げ下ろしに至るまで、がんじがらめの規制があり、それでも財政破たんしそうな場合には、「財政再建団体」という制度で国が面倒を見てくれます。

 しかし、地方政府の活動を原則自由とすれば、かってな事をしたツケを国の税金に転化するような現状の「財政再建団体」制度は不合理となります。というのは、「どんなむちゃくちゃをして破たんしても、最終的には国が面倒みてくれる」となれば、無理な借金を重ねて、見込みのない開発にお金をつぎ込む等の、地方政府の無茶な政策が横行する可能性が高いからです。これへの対処は、「地方政府が破たんしても、中央政府は面倒をみない」という政策変更が必要です。

 簡単に言えば、「都市経営に失敗した地方自治体は倒産する」という事です。

 アメリカでは、地方自治体も、簡単に倒産します(企業に適用される連邦破産法が自治体にも適用され、破産管財人が乗り込んできたりするらしいです。)し、中央政府は、それに対して何もしません。地方『自治』の本旨から言えば当然の事ですが、上から下までぬるま湯につかった日本で、これが実行できるでしょうか。(後述するように、しなければならないんですが。)

 そうなると、首長や議員、地方公務員を選ぶ選び方も変わってくるでしょう。利益誘導型の政治家ではなく、「企業経営」的感覚を持った人材が必要となります。住民の意識改革が一番に必要です。

 「このような、困難(?)を伴う地方分権ならいらない。いままで通り国が全国一律の施策をしていた方がいい。」という人もいるでしょう。別に地方自治は、国の体制として必須のものではなく、お隣の韓国では、つい最近まで地方自治制度が停止され、市長は国の任命で、全国を渡りあるいていました。が、それほど不都合はないようです。

 では、地方自治制度の意義は何でしょうか。地方分権を実行する意義は何でしょうか。「地域の実情を反映した」行政の実現、などといいますが、そんな事は、中央集権国家でも地方行政官の裁量を増せばできる事で、理由にはなっていません。私の考えるところ、地方分権推進の本当の目的は「政府の生き残り」のためだと思います。

 中央集権国家というのは、目標が一つでまとまっている時には、非常に強い体制です。しかし、現代のように、価値観が多様化して、ちょっと先のことも分からない状態ですと、国全体が同じ方向に走ってしまうと、方向が間違っていた時には、国全体が沈没してしまいます。地方自治を強化して、各地方が違った施策を展開すれば、いくつかの地方は沈没しても、いくつかは生き残る可能性が出てきます。要は国を細分化し、それぞれの単位で「疑似国家」となり、疑似国家単位で生き残りを模索する、というサバイバルの手段という訳です。

 私なりの解釈ですが、いかがでしょうか。


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