よみの国とは
山陰の中央部にある米子(よなご)の街を、よみの国のコンセプトを基に活性化させようというもので、HITが個人的に策定し、一人でキャンペーンしています。(実は昔企画を出して、没になったもの)ご批判、ご賛同などをいただけるとうれしいです。(ご意見はお気楽掲示板またはメールで)
なお、米子以外の街が、このコンセプトに沿ったまちづくりをすることはご遠慮ください。
米子には、夜見が浜(弓が浜)、夜見町がある。古くは「出雲国風土記」にも<夜見島>の記述があるように、由緒正しき地名である。語源はもちろん「黄泉国」であり、「人の死してかえるところ」である。古代の出雲国は、黄泉国への入口と考えられていたようである。
「死後の世界」と言うとおどろおどろしいが、「すべての人が最後にかえっていくところ」と言いなおせば、イメージも変わる。
超均質な日本に必要なのは、非日常的な空間であり、いうらなば「聖地」である。よみの国というコンセプトは、演出その他をうまく行えば、「聖地」となる素質を十分備えているといえる。
1 「物質文明」から「精神文明」へ
・モノの豊かさから心の豊かさへ
・生きとし生けるものを自分と同次元で理解し、思いやれるまち
・生と死をより身近に感じ、よりよく生きることのできるまち
・価値あるものは確実に子孫に引き継いでいけるまち
・精神ケア(保養、治療、人間性回復)の発達したまち
2 農耕、工業化社会から遊牧、情報化社会へ
・各人のライフサイクルで最適な場所で最適な仕事、遊びを
・「土着」の典型である行政も、「旅人」時代の行政へ
→ どこにいても、「米子」のサービスを受けられる「米子人」
・住民が自動的に「市民」になるのではなく、都市と個人の契約という概念
3 知識の時代から感性の時代へ
・他にない感性をそなえたまち
↓
よみの国・米子
静のイメージ
・古来より『人が死して帰るところ』である「黄泉の国」の入り口とされてきた、山陰というイメージから「黄泉」=「生と死の聖地」として
動のイメージ
・「黄泉がえり」は「蘇り」であり、生の活力を与えるイメージとして
即物的な西欧合理主義に毒されている「生きている間のことだけを考えた都市計画」ではなく、「死んだ人にも住みやすい(?)まちづくり」の研究は、きっと生きている者へも役に立つ住みやすい町を考える研究となるだろう。「東洋の死後の世界観」をもっとまちづくりに応用してみたい。まちの真ん中に墓地があってもいいと思う。
また、見方を変えると「死んだ後の世界」=「子孫たちの世界」であり、死後の世界を大切にするということは、子孫たちのことを十分考えるという「環境問題」にも通じる。
宗教というと、何かと悪いイメージを持つ人も多いようであるが、宗教というのも、現代においては、「心のサービス産業」と見れば、普通の産業である。巨大宗教の総本山ともなれば、メッカやエルサレム、ローマの例を見ても分かるように、町も活性化する。日本でも天理市や富田林市、金光町など、新興宗教の門前町として栄えているところもかなりある。企業誘致と同様の効果を期待できる(?)。
将来性のありそうな新興宗教(既存の宗教のメッカにはなれないので)に、土地等を提供して、「宗教の聖地・米子」を売り込む。
「よみ」と言えば「バビル2世」、バビル2世といえば「バベルの塔」。という訳で、米子の町が見渡せるところ(やはり夜見町がいいかな)、に塔を作る。やはり「よみのくに」ともなれば、昼の姿より夜の姿を見てもらいたい。夜景も綺麗にゾーニングなどをして。(アベック、暴走族のご用達?)
塔の中身は、共同墓地とする。黄泉国のシンボルとして、墓地の塔というのは、ふさわしい。また、本物のバベルの塔のように、1段づつ追加で作っていけば、常に未完成で建設中というのも、墓地にぴったりである。
黄泉国といって思い出すのは、やはり、イザナギノミコトが死んだイザナミノミコトを追って黄泉国に行き、追いすがる魑魅魍魎を桃で退けながら、千引岩(ちびきいわ)で通路を閉じて帰ったという逸話である。(千引岩のある「ヨモツヒラ坂」は東出雲町の揖屋の手前にあることになっている。古事記と出雲国風土記で記述が違うが。)
これに限らず、黄泉の世界を扱った逸話(日本に限らず、東洋、西洋を問わず)を集めて、まちづくりに応用してみる。町中がテーマパークといえるエコミュージアム手法で整備する。たとえば、千引岩(ちびきいわ)に模した門がある病院(!)
とか、袋小路とか。 水木しげるロードや神話がゴロゴロ転がっている島根県と総合的広域的に整備するともっと面白い。
誰も死後の世界など誰も見ていないのだから、作ったものの勝ちである。「血の池ウォーター・スプラッシャー」や「針の山メリーゴーラウンド」等いろいろ遊べる。
→ 文字通り地下に作るとよい。
古今東西を問わず、死後の世界は、地下か天上にあることになっている。日本の「黄泉の国」も地下にあることになっており、現代科学でもまだ解明しきっていない地下の研究を「よみの国」で行うのもなかなか面白い。
ホスピスというのは、病院と教会や寺との中間の施設で、「いかに死ぬか」を実戦する施設である。現在日本ではまだ数が少ないが、医療機関の多い米子だからこそ、ホスピスの整備に向いているといえる。キッャチコピーは、「死ぬなら米子へ」
宗教法人の誘致と、バベルの塔(共同墓地)の整備で、アフターフォローも万全!
復活を表す日本語「よみがえる」の語源は、もちろん「黄泉の国から帰ってくる」である。
従って、「よみの国・米子に行って帰ってくる」ことは、「よみがえる」=「復活、再生」を意味する。
これをPRして、実際の施策に応用すれば、人生の転機や何か悪いことがあった人は、米子に来てもらって、新しい人生のやり直しが出来ると、好評になるかも。
そのためには、再生のためのもっともらしい手続きとドラマ…自分を見つめなおす修行の場とそのエピソード(創作神話?)の整備が必要になる。
「死ぬなら米子へ」の反対で、「産むなら米子へ」というPRも行う。輪廻の思想からも、「死後の世界=生まれる前の世界」という展開に無理はない。
「生まれ変わって欲しい人の写真を持って、米子で出産すると、子どもがその人の生まれ変わりになる」とか、もっともらしい伝聞(これも創作神話?)を広めれば、うける事間違いなし。その他にも、現実的な出産、子育て支援の施策もそろえて、強力に押し進める。
以上3つの「死ぬなら米子へ」、「復活の町米子」、「産むなら米子へ」をうまく実施できれば、生まれる時と死ぬ時、そして人生の転機と、一生のうち何度かは、沢山の人が米子に来ることになり、経済、文化の活性化はもちろんのこと、「生と死(と再生)を司る聖地」という、お金では絶対に得られないステータスを得ることが出来る。